2008年5月31日土曜日

栄冠コース

日能研の栄冠コースには女子は四分の一程度しかいないと聞いたことがある。
男子より女子のほうが成績は優秀と講師も認めているのに、この結果はなぜだろうか。
これは四谷大塚も似た傾向にあるらしい。
親の姿勢が影響しているようだ。
女子にはそこまで期待していないということだ。
これくらいでいいんじゃないかと志望校をすぐ下げてしまうのも女子の親に多いそうだ。
日能研の特徴として、広報活動の幅広さがあるようだ。
いたい進学塾は、口コミで大きくなっていったものが多いみたいだ。
日能研も創立当時は新横浜の小さな私立中学疲受験塾として出発しているが、ここまで躍進した理由のひとつに広報活動が上手だったということがあるみたいだ。

2008年5月30日金曜日

2科目受験

家庭教師を始めたはかりに担当した生徒さんは、五年で二科目コースにした。まず勉強しない子だったのだ。ものの三〇分ともたない。授業は真剣に取組んでくれたが、暗記は苦手なので迷わず二科にしてもらった。塾では上位にいたようだ。また通っていた塾は成績が落ちても、本人の授業態が長かったり、理解力があれば、クラスを下げなかった。、どのクラスも十数人程度。10人の子の様子を見ていたようだ。中学に入ってから、そのお子さんは自分の社会や理科の力がないことを痛感していた。でも詰め込みで四科目やっていたら、いやになって、受験に挫折してたかもしれないなと思うのでなんとも言えないが、それは結果論でかない。社会ができきたら、より高い志望校合格の希望が持てたかもしれない。

2008年5月29日木曜日

科目ごとの資質

算数ができる資質と、国語ができる資質、はたまた社会や理科のできる資質と、いったい併せ持てるものだろうか。算数がずば抜けてできるような子は、世間離れしているような子ですだと大手塾は断言している。しかし、社会のほうは、時事問題に関心があって、新聞をよく読み、自分なりの意見の言える子が強いと言っている。どうやら、各教科担任がそれぞれ「これは」と思うところに力を入れているようだ。そのトータルは一人の子の中では共存しえない、希有な資質を求めていることになるのだ。ありえない人を求めていることになる。そこで、結果的に学校側の意図と違って、「凡庸な人間が受かる」ことになることもある。それぞれの教科で合格に達するような点を取れるような、努力型の子がやはり有利なのだ。

2008年5月28日水曜日

受験ブロイラー

中学受験は、子どもの発達にどんな影響を与えるのか。マイナス面として考えられる第一は、子どもの健康・体力づくりへの悪影響だ。毎日のような塾通い、不規則な食生活、深夜に及ぶ受験勉強が、将来の「過労死予備軍」をつくる恐れがあるような気もする。ある小児科医の話では、必要な時期に必要な体力づくりをせずに受験ブロイラーのような生活を送らせていれば、そのツケが後になってかならず出てくるそうだ。モーレツ塾の言いなりになって、お金と労力と時間を費やして子どもの健康を蝕んでいるとしたら、背筋の寒くなる話だ。では、知能の発達やパーソナリティ(性格)の発達にとって悪影響はなのだろうか。それは違うだろう。たしかにやっただけのことはあるはずだ。

2008年5月27日火曜日

末っ子

末っ子はかわいいことを言う。僕が大きくなったら、お母さんに楽させてあげるよ、将来はお兄ちゃんじゃなくて、僕がお母さんの面倒見るよ、などという言葉を堂々と言う。これも末っ子なればこそだ。上の子の場合、そんなこと、思っても決して口にはしない。というか、できないのだ。長男というのは、だいたい親の言うことをきかずに、自分の思うままに行ってしまうところがある。何ごとにもマイペースなわけだ。べつの言い方をすれば、長男は、何ごとにおいても常に冷めているところがある。親のことを考えないわけではなく、冷めた目で常に考えているわけだ。それでいて、何か不満があると、下の子は、ウワーツと泣いてヒステリーのように騒いで暴れまくる。そうすればどうにかなるということを知っているからだ。それでも母親にとってみれば、かわいいのだ。

2008年5月26日月曜日

たった2日間

私が担当したお子さんで、夏休み40日間のうちで休んだのはたった2日間だけという子がいた。こんなに勉強したら、誰だって頭がパンクしてしまう。1つの塾だけでなく、なんと4つの塾を母親がクルマで送り迎えをしながらかけ持ちしていたというのだ。塾までクルマで送って行き、勉強しているあいだお母さんはクルマの中で待っている。塾が終わると、子供にクルマの中でごはんを食べさせ、冷たい飲物を与えてから、また次の塾へ向かうということを繰り返していたそうだ。信じられないかもしれませんが、こうしたケースは、けっして少なくない。それくらいしている親御さんはかなりいる。そこまでして頑張ったのに、夏休みが明けてからのテストの成績がよくない、夏休み前よりも悪いということになれば、夢も希望も全部なくなってしまう。夏休み前と夏休み後では極端に落ちていました。といっても、夏休み前はかなりの成績を取っていましたし、それくらいですと、本来なら落ちるということはあり得ないわけだ。ですから私は、「疲れているんですから、ゆっくりと休養をとらせてあげてください。能力はあるのですから、ここで思い切って1週間、お母さんとお二人で遊んでみたらどうですか。受験をあきらめるような気持ちで、好きなだけ遊ぶんです。実際に死のうかとまで思ったのですから、どうにでもなれるじゃないですか。ぜひそうしてください」と言って、実際に1週間、学校も休ませた。親子は、3日間ぐらいいろいろなところを旅行し、そのあとは映画を見たりゲームセンターへ行ったりして、本当に自由気ままに1週間を過ごしたそうだ。そして1週間たったときに、「お母さん、勉強したくなっちやったよ」とお子さんから言い出したということだった。

2008年5月24日土曜日

国語学習

平成14年2月20日に、文部科学大臣から文化審議会に対して、諮問された「これからの時代に求められる国語力について」。平成16年2月3日に、審議会が答申を出してますが、その中で、国語の役割について以下のようにまとめられている。「個人にとっての国語が果たす役割は、「知的活動の基盤」「感性・情緒等の基盤」「コミュニケーション能力の基盤」として、生涯を通じて、個人の自己形成にかかわる点にあると考えられる」今ほど、国語を勉強することの大切さが強調されたことはかつてない。これは日本の教育の大きな変化を表している。中学受験においても、国語を勉強することの重要性がますます高まっていくと思われる。今年の中学入試の国語の問題を振り返ってみても変化がわかる。御三家をはじめとする難関校では、書かれている文章を読んで、その内容を正確に理解した上で、「考えさせる」ことを目的とした記述問題が増加している。入試問題の出典を見ましても、「考えさせる」ことを目的とした素材文選びが、行われている。今後、中学受験において合否に国語の成績が大きく影響してくると思わるので、日頃の国語学習にますます力を入れるべきだろう。

2008年5月23日金曜日

特訓、特訓

塾のなかには、下手をすると週に5~6日も、特訓、特訓といって鍛えているところもあるようですが、そういうふうにして鍛え上げられたものは、とってつけたように覚えたものでしかない。そうした結果、うまく桜蔭や麻布、開成といった優秀な受験校に入ったとしても、本当は入ってからが問題なのだ。あるお子さんは、その後東大の理Ⅰに入学したが、卒業してからも依然として模範生だ。意志の強さによって自分の人生を切り開いていく。これができれば、どんな学校に行っても恐れるものはない。あるお母さんは意志の強さが決め手になって、名門校にお子さんを合格させた。しかし、実力の5割増しで名門受験校に入ってしまうと、後が苦しいこともある。頭が固い子でも、なんとかなるにはなったが、それも本人のその後の努力が身を結ぶこともあれば、そうでないこともあるのだ。

2008年5月22日木曜日

算数だけではない

ミスというのは、算数だけに限られるものではない。たとえば理科でも国語でもそうですが、問題で書いてあること、聞いていること、あるいは単位などを間違える子が多いわけだ。また、文章題などになると、子供の場合、文章の意味がわからないことがある。そのため早合点することが非常に多いのだ。せっかく計算が合っているのに、「何平方メートルですか」「何平方センチメートルですか」「何アールですか」と、問題できいている単位をミスして、答えを間違えてしまったり、最初に問題文を読んだときには頭に入れたつもりでも、問題をやっていく途中で、どうしても注意が散漫になるのが子供というものだ。ですから、そういう大事な部分は、線を引いたり○で囲んだりしなさいと言うことにしている。そうしておけば、答えを書くときにふと気がつくものだ。そして書いたときに「まてよ、大丈夫かな、大丈夫だ」という、やりながらの見直し法をやれば、かなりのミスを減らすことができるのだ。

2008年5月21日水曜日

10本のうち1本

お母さん方に、私はよく言う。中学に入ることというのは10本の指の小指の1本ですよ、と。あと9本分は大学受験なのです。親御さんは、その小指の1本と一緒に生きていくだけですから、夢中になっていられますが、あとの9本は子供が自分ひとりで突き破っていかなければならないのです。そこまで、自分のお子さんに自信があるかどうかを考えたうえで、慎重に塾選び、学校選びをしてください、と。もしそういう自信がないのなら、そういうお子さんは、慶応とか早稲田などの、大学までずっとつながっている学校に入れたほうが賢明だ。そのためにならば、テスト勉強で入ってしまっても、よほどのことがないかぎり留年したりすることもない。そういう考え方、つまり入ってさえしまえばいいんだという考え方なら、私はテスト勉強も認めている。実際、そういうタイプの子供はけっこういる。ですから中学を選ぶ際に、ただやみくもにテスト勉強だけで入ればいいといった考え方は間違っているのだ。しかも開成、麻布…、東大、国立大などと考えているのでしたらなおさらのことだ。5、6年生のときには、その後の本人のためになる頭の訓練を下方がいいのである。

2008年5月20日火曜日

プラモデル

私の担当していたお子さんで、プラモデルづくりに没頭してきた男の子というのも意外と伸びた。集中力は心のマラソンとよく言われますが、単調な作業を気長にやり続けていくことで養われるものだ。ですから、何かに没頭することが、いい意味で集中力をつける訓練にもなるものだ。ところが最近は、充分な勉強時間が確保できないとか、体力的に勉強との両立は無理だという理由で、塾に行き始めると同時に、クラブ活動や習い事をやめてしまう子が少なくない。そのためか、受験の最後の追い込みでラストスパートがきかない子が増えているのも事実だ。集中力をアップさせるための勉強法を考えてみる。たとえば算数の場合、まず深呼吸を3回して気持ちをリラックスさせる。そして頭の中で1+2+3+4……というように10まで足していくように言う。このl~10までの数字を足す暗算をして、その答が正解したら、問題を始めるというものだ。また国語の場合も、四文字熟語をいくつまで思い出せるか考えさせてから始めるとよい。これは子供たちを勉強の世界にすばやく投入させるための一種の暗示療法だ。

2008年5月19日月曜日

下地をつくる

下地をつくることが大切だ。下塗りをしなければならないのだ。小さいころから勉強ばかりしてきた子供には、勉強で得た知識というのはあったとしても、それ以外の教養がありませんから、本当に新たなことを覚えていこうとするときには、ひっかかりの材料がないのだ。だから、丸暗記をして覚えたつもりになっても、そっくりなくなってしまうわけだ。「そのデコボコができるまで努力するしかないんですから、いま、5回やってダメだったとおっしゃいましたが、10回でもいいからやってごらんなさい」と言いました。記憶力の悪い子を相手に最高にやったのは、22回でした。社会の歴史だったと思いますが、何度も同じことを言って覚えさせても、すぐに忘れてしまう。「おまえの頭はどうなってんだ」などと、子供たちのほうが言うぐらいだった。でも、そういう子でも、22回目には覚えることができた。それからは、いつ聞いても大丈夫だった。「同じ範囲を22回やって覚えた子もいるんです。そこまで、やったか?」「いえ、5回だ」「5回と22回じゃずいぶん違うじゃないですか」「でも、22回やったら、1ページ覚えるのに1週間かかってしまう」「それでもいいですから、この子の頭を直そうと思ったら、まずは私の言うとおりにやってください」お母さんは努力家でしたから、私の言ったとおりにやってくれた。とうとう10回目で覚えたそうだ。そして、その覚え方を繰り返させた。約3カ月たった頃には、以前の3分の1の時間、約5、6回で覚えられるようになった。このように下地は大切だ。

2008年5月17日土曜日

テレビの害

セサミストリートのように一般には「教育的」と考えられている番組でさえ、幼児の脳に悪影響を与えると、ハーリーといういっています。
る。
即時性の強い視覚的刺激に浸らされると、「読む能力」が失われるからです。
テレビの問題は、他にもあります。
もっとも深刻なのは、番組の質です。
優れた番組が数多くありますが、悪ふざけ、芸も何もあったものではありません。
テレビ番組の多くは、残念ながら、質がきわめて低いです。
何回も上演されることを意識して作られた映画や演劇とは、本質的に違うのです。
面白い娯楽を我慢せよといっているのではありません。
全く逆であって、テレビ番組の多くは、娯楽として面白いものではなかろうと、忠告しているのです。
質の低いものに慣らされると、感受性が麻痔してきます。
手抜き番組に慣れると、「本物」を鑑賞する力が失われるのです。
これが、もっとも恐ろしいことです。

2008年5月16日金曜日

記憶は容易になる

記憶したい対象を、すでによく知っている対象に寄生させるのはいいです。論理的あるいは自然科学的な必然性がなくとも、関連付けで覚えられるときがあります。西林克彦氏は、つぎのような心理学実験の結果を紹介しています。これは、「眠い男が水差しをもっている」「太った男が鍵をもっている」というような文章を記憶させる実験です。このような文章をいくつも覚えさせられると、被験者は、男と行為を結びつけられなくなります。「眠い男」がもっていたのは、水差しだったのか鍵だったのかが、混乱してくるのです。ところが、「男」と「もっているもの」との間に中間項を付け加えて、つぎのように両者を関連付けると、記憶は飛躍的に向上します。「眠い男は、眠気をきますためにコーヒーを入れようとして、水差しをもっている」「太った男は、食べ物を探すために冷蔵庫を開けようとして、鍵をもっている」「眠い」と「水差し」は直接に結びつきません。しかし、「コーヒー」という中間項をいれると、「眠い」と「コーヒー」が、そして「コーヒー」と「水差し」が自然に結びつきます。この場合にも、記憶の対象は増えています。しかし、記憶は容易になります。

2008年5月15日木曜日

百貨時点

百科事典は便利です。変分法、オイラー方程式、汎関数などの簡単な説明がのっています。微分法を知っていれば、「おおよそどのようなことか」は、理解できます。だから、高校生でもわかるはずです。あるいは、学生時代に数学をきちんと勉強しなかったビジネスマンでも、理解できるはずなのです。専門家のなかには、こうした方法をとることに反対の人がいるかもしれません。登山家が、「麓から一歩一歩登ってこそ、頂上をきわめる歓びがある。ケーブルカーで頂上にいっても意味がない。初心者は低い山を俳諧すべきだ」というかもしれません。しかし、この意見はサディズムでありマゾヒズムです。高山のすぼらしい空気や眺望が目的なら、ケーブルカーでも一向に構わないのです。ケーブルカーがなければ、飛行機でその高さまで連れていってもらって、パラシュートで降下してもよいのです。数学の勉強も同じことです。途中の過程を省略してしまってもよいです。経済学の論文を読むのが目的なら、こうした方法をとっても、一向に構いません。オイラー方程式の導出法を理解していなくとも、いいのです。

2008年5月14日水曜日

構造が大切

本は、各章を独立して読めるような構成になっていることが多いです。章が互いに関連しつつ有機的な構造を作ることは、あまりありません。つまり、長文における「構造」がそのまま相似的に拡大して本の構造となることはないのです。ただし、小説やドキュメンタリーなどは別であり、章が連続しています。実用書の場合、他の章を見ないと全く理解できないというような書き方は、普通しません。千字程度の気軽に読めるエッセイは、あまり構造を意識しないで書き流してあるものが多いです。また、細胞の中に複数の異なる内容を盛り込んでしまった文章もあります。性格づけは、典型的な文章についてのものです。しかし、それらを読む場合には、重要な知識です。また、書く場合の心構えとしても重要です。「構造」とは、同質的ではない内容を、どのように配置するかという問題です。起承転結とかいうのは、これに関するパターンを述べています。どのようなパターンを選択するかは、内容により、また著者により、異なります。

2008年5月13日火曜日

見栄も必要

見栄も必要だ。外国語の勉強でも、誰かに「かっこいい」ところを見せたいというインセンティブがあれば一所懸命勉強するものだ。昔はガリ勉は軽蔑された。しかし、成績がよければ、素直に尊敬されるものだ。また、見栄で小説を読んだり、大学レベルの数学や物理を勉強して、吹聴しあったりしたものだ。そのことは、結果的には、さまざまな新しい世界を見せてくれることになる。だから、環境はとても大切なのだ。学校の友人は、近くて具体的な目標だから有効だ。人間は遠い抽象的な目的には集中できないからだ。近い将来の身近な集団のなかでの評価のほうが、はるかに重要である。入学試験でさえ遠い目的と思える場合があるからだ。それより、明日のクラスで級友に「かっこいい」ところを見せるほうが大事な場合が多い。これこそが、学校という共通の場に集まる「スクーリング」の大きな意義だ。通信技術が発達し、パソコンに教育プログラムが送られてくるようになっても、自宅学習で学校を代替することは、決してできない。

2008年5月12日月曜日

勉強の成果

人間の社会が学習に基づいたものであることは、アリの社会が遺伝的パターンに基づいたものであるのと同様に全く自然なことなのです。間違った勉強法では、いくら努力しても成果が上がりません。勉強の成果は、方法によって大きく変わります。それにもかかわらず、勉強のノウハウについて、これまであまり議論されてませんでした。私の友人に家庭教師の名人がいました。成績が悪い生徒の面倒をみて、目覚ましい成果をあげていました。彼は、独自の勉強法で教えていました。つまり、勉強法を大きく変えることによって落第生を救ったのです。そして、「少なくとも中学、高校であれば、どんな子でも、一定の点数までは確実にとれる。本当の理解力をつけるには時間がかかるけれども、テストの点数を引きあげるだけなら、簡単なのです。とくに、数学と英語はそうです。成績がクラスで最下位の子でも、必ず遅れを取り戻せる」といっていました。この話を聞いたのは、比較的最近のことです。私がとくに興味を持ったのは、彼が用いていた方法が、私の勉強法と非常に似ていたことです。

2008年5月10日土曜日

本当の自分

うちの子、なかなか成績が伸びません、やればできる子だと思っているのですが、なんて相談されることは多いです。ちょっと前まで、担当することになったお子さんの親御さんで非常に多かったのが、「うちの子はやればできるんですけど」でした。これ言われると私はとたんにゲンナリしてしまいます。たいてい暗にお断りしたものです。現在の小中学校のカリキュラムは、はっきり言って易しいです。これができないということは「やればできる」 のではなくて「やらなかったからできない」だけなのです。普通にやるべきことを怠っていたのでできなくなった、もしくは残念ですが「かなりやらないとできない」子なのです。こういう生徒はほっておいたらいつまでたったって、できるようにはなりません。ところがこういう子ほど 「ある日何かのきっかけで突然わかるようになる」と思っています。自分がきっかけを起こすんじゃなく、あくまで外的なきっかけが起きると信じているのです。「いまの自分は本当の自分じゃない」なんてことはありません。甘いですよ。どんな状況であれ、やる子はやるし、やらない子はやらないのです。だからいまの自分だけが本当の自分なのです。

2008年5月9日金曜日

暗記の方法

暗記の方法に録音機を使うとよいです。素晴らしい利点があります。ひとつ目は音声ファイルを作るとき(つまり録音するときだが)に読み上げるのです。当然この時、注意して声に出して読むだろうからその段階ですでに若干アタマに入るものです。ふたつ目にそれを自分の声で聞くというのがまたよいです。なぜなら人はみんな自分の声に違和感を感じるものだからです。違和感のある音というのは注意を引くものだからです。注意しながら聞いていれば、覚えるのも早くなります。より効果的にやりたいのならば再生しながら口に出して言ってみるといいです。効果は倍増します。さらに、不安のあるものだけ書いてみるといいでしょう。効果は3倍増になります。ひとつおまけに3度日の再生くらいになると先読みができるようになると思います。そこまでやれば申し分なしです。ただしあまり間を空けないことです。最初の数回は一気に何度か繰り返して聞いてほしいものです。そうすれば怖いものなしです。

2008年5月8日木曜日

効用

第二の効用です。それは日付を眺めることによって自分の学習時問、学習パターンがつかめるということです。ある日付から次の日付までどれくらいの学習量があるかを見れば、自分の1日の学習量の平均がわかります。これは受験学年になって受験勉強をスタートさせるときの現実的な目安となります。あるいは、何日も使っている単元があれば、そこは重要であるか、はたまた苦手であるかのどちらかだとわかります。これまた非常に有効なデータです。大切なのはそういったデータを人様に頼らず、自分自身で把握するというところにあります。しかもこの方法は日付を付けるだけですみます。なんとわかりやすいですか。他にもまだまだ日付を付けておいたから得をしたということはたくさんあるだろう。ほんのわずかの努力が大きな価値を生みます。日付、絶対に書くべしです。

2008年5月7日水曜日

真の目的

国語の真の目的、それは文章読解によって相手が言わんとすることを理解することでることを忘れないでいただきたいと思います。
インターネットの掲示板はけんかや口汚いののしり合いが日常茶飯事なのだが、これの多くは題意の読み間違いです。
実は同じことを言っていたり同じ立場の人たちが必死でののしり合ったりしているのです。
無理もありません。
相手の口調、音程、顔色などがわからず、文章のみで何を言わんとするかを判断しなければならないのだから、いいかげんな国語力の持ち主は題意を取り違えるに決まっているのです。
メールが普及し、ますます文字のみによる情報伝達が重要性を帯びる現代において、国話力の育成はより意味をなすものと納得するしかない。
文章の理解が国語の主たる目的であり、独学が書物に頼る学習法である以上、どうしても国語の独学というのはある程度の国語カのある者以外には不可能なのです。
そこでここではまず、ある程度は理解できる力があることを前提にした学習法に触れた文章を理解できない者が文章からものを学ぶことができる道理はないのです。
ただしある程度の国語力というのは、小学校中学年程度の普通の文章が読める力を指します。
それでもかなり厳しいと思うが、独学としては画期的かつとっておきの方法です。
親御さんのサポートの上ににやっていただくとよいと思います。

2008年5月2日金曜日

対話

対話というのは、同じレベル、同じジャソルの間だけで交わされても、あまり成果が期待できない。というのも、テーマが広がっていきませんし、ともすると同じところ堂々巡りしてしまう危険性が伴うからだ。要するに、広く世の中に問えということだ。人間は生涯、知識を吸収し続けて、日々、物事に学ぶという姿勢が保たれなければならない。ところが、ややもすると勉強、学習は学校在学中、社会に出てしまえばただ働き、稼ぐだけという構図ができてしまう。よし悪Lにかかわらず、学校と社会の間に一つの線引きができてしまっている。これは決してよいことではない。学生でも大学生程度になれば、一応の社会的責任を負わせるべきとする論調が最近は顧薯になっていますが、これはその通りだと思う。学校と社会の間に、意味のない線引きがあるのも弊害の一つだ。つまり、この二つのポジションの間に対話が成立していないということだ。極論してしまえば、昨日までの自分は本当の自分ではない、という嘘が堂々とまかり通ってしまうわけだ。これはおかしいと思う。あまりにも自分に責任のない行為といわざるを得ない。

2008年5月1日木曜日

時代の要請

家庭教師としてやれることは、きちんと社会的責任のとれる、個人として自立した若者を育てることにある。お父さんもお母さんも一緒になって真剣に考えて欲しい。子供がかわいいのであれば、今こそ、その教育が求められている時期であることを、大人の責任として認識する必要がある。ひとり等界だけではありませんが、時代は今、一つの分岐点に差しかかっている。これからの教育に欠かせないキーワードといえば、国際化と生涯教育だ。時代はすでにその局面を迎えている。いずれ近いうちに、国内出張並みに海外を往き来する世の中になるでしょうし、今や、下手に国内をうろうろしているより、一部の海外の都市に行く方が早い時代になっている。時間も経済も短縮され、安上がりという状況になりつつあるのだ。シルバー時代も確実に浸透しっつあり、定年後の生き方に今後ますます指標が求められるようになる。確実に来るこの将来をさまざまな教育、指導は、さまざまに展望していかなければならなくなる。時代に対応する布石を打っていかなければならない。それは時代の要請なのだ。